毎晩、申しますが(笑)
まとめないと2013年、夏が終わらぬ気がするので、引き続きまいります。

唄う住人maru、わたくし自身についてです。
経歴もろもろと割愛して(笑)


単独公演、ちくさ座でやりたいな、と
構想し始めて、場所の仮押さえをしたのは去年の秋のことです。
漠然と、この円形ステージで何かやりたい。
ただ、それだけでした。

“maru”として表現し出してからは、まるっと3年経ちます。
マルだけに(笑)はい、ごめんなさい!!

出会う人も、演奏する機会も、自由も、その分のシガラミも増えました。
楽しいばかりでもなく、それはどの環境においてでもですが、
伝えたいものが何なのか、“BluePandaria"も“maru”も何なのか?と迷子になっていました。

驚くことなかれ、それは年明けての2013年、春。

今なら、まだ単独公演を中止にできる。
準備する労力も要らなくて、ストレスもない。
すべてを断るなら、今しかないと・・・

自身の色味を把握できずに悶々としていただけで、
表現を辞める選択は皆無でしたよ。
(生きている限り、表現というのは、ついて回るものだと信じていますので、
私のなかでは、死ぬまでつづくのです。)
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心身のバランスが取れなかったのは、10年以上治まらなかった摂食障害を完治させるべく、
自身を見つめ直そうと試みてからです。
心療内科には過去に通ったこともありますが、
自身が乗り越える以外に術はないと、私は痛感したので、投薬もやめました。
完治を諦めて、気長に付き合うことも考えたけれど、
如何せん体力が、ついていかない。
過食と嘔吐を繰り返していたので、
気分は伏せるし、周りとの付き合いも億劫に・・・

“maru”として、これから進んでいこうとした矢先の12月、父が急逝しました。
誕生日、26歳の始まりは、父の通夜でした。お陰で、沢山の方にお会いしました。
父が亡くなって、生きていることの奇跡、自身で健康な体を傷つけている愚行に、
なんて馬鹿なことをしてるんだと、産んでくれた母親にも申し訳なくて、
今を、本気で生きなければ、と改心したのです。

けれども、日が経ち、徐々に、その瞬間の鮮明な気持ちは、
悲しいかな、身に着けているようで、希薄になってゆきました。

ゆえに、挑んだのです。

[このままではmaruが終わる]

と、危機を感じましたので。

専門書を読むことで、症状に対して理解を深めようとしました。

「あなたのここがダメなんですよ」
「だから、こんなことになるんですよ」

と責められているように感じながらも、
自身の弱さに納得して、いろんなものが身に染みて、
泣き叫びました。この年齢になって、こんなになるの?と不安になりました。

そして、
ここまできてやっと、弱音が吐き出せたのです。
なにが不安なのかとか。つまっていたもの全部。
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私が何者なのか、私自身が解すことで、少しずつ霧が晴れてゆきました。
大切にすべき想いがどんなものか、
ヒトが生まれて、死んでゆく間に必要なものが何なのか、
それを誰に伝えていきたいのかと。

これまで、こういったことを一切語らなかったのは、
表現の演出にしたくなかったからです。

誰しもが抱えているであろう、陰の領域を利用したくなかった。
踏み込みたくなかった。
創られた感動なんてものは、虚無の極地ですからね。
涙がもったいない。


「半径参拾尺ノヱン」
を描き終わって、今、お話ししたくなりました。

独りでは寂しいけれど、大勢の人と接するのは、正直、苦手。
だから、己から生まれてくる唄や絵を表に出すことで、
誰かと交わる場所を創りたかった。最低限の関わりが欲しかった。

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そんな不器用な人となりを知ってもらうことで、
“BluePandaria” が、
“maru”が、明確になるのではないかと思ったのです。
時が巡ってきたのです。


〜其の伍◆繊,愨海ます。

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